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腎臓病と歩んで25年の私が「入院って、けっこう悪くない」と思う理由

中学1年生の時に腎臓病になり、36歳で末期腎不全になってしまった、ライターのもろずみはるかさん。選択肢は人工透析か移植手術という中で、健康な腎臓を「あげるよ」と名乗り出たのは彼女の夫でした。

今回は、入院中に出会った人たちとのエピソードをつづっていただきました。

入院が嫌いじゃない

中学1年生の時に「IgA腎症」という糸球体腎炎になった私は、腎臓の様子をチェックする腎生検に、異常なIgAを増やさないための扁桃腺摘出手術、ステロイド治療など、夫の腎臓をもらうまで25年の間に7、8回入院をしています。

入院なんてできればしたくない、というのが普通の感覚でしょう。ところが、私は昔から入院が嫌いではありませんでした。

医師に「入院ですね」と言われると、「やれやれまたか……」と思う反面、「今度はどんな“お隣さん”と出会えるかな」とワクワクする自分がいました。不謹慎だと怒られてしまうかもしれませんが、入院生活は、世代を超えた“お隣さん”(患者友達)ができるし、みんなで合宿しているようで楽しいと思っていたのです。

初めての「お隣さん」は70代のファッションデザイナー

初めてのお隣さんとの出会いは、23歳の時、腎生検を行うための検査入院の時でした。不安と暇を持て余し、ベッドの上でじっとしていた私に、70代のファッションデザイナーの女性がカーテン越しに声をかけてくれたのでした。

病人に見えないほどエレガントな腰まである白毛の混じった長い髪。明るい色のバスタオルに包まれた病院のベッドは、自分のそれとは全然違う場所に見えました。そして何より、カーテン越しに話してくれる彼女の仕事論は大人のオンナという感じで、刺激的。

私は初めての入院で不安だったことも忘れて、「それでそれで?」と消灯時間までおしゃべりに夢中になったのでした。

またある時は、有名コーヒーチェーンに勤める30代の会社員がお隣さんに。読書家で想像力豊かな彼女が語るコーヒー論は、シアトルのカフェの風景を連想させてくれました。

車椅子をかっこよく乗りこなす50代の女性とも親しくなりました。彼女の愛車は少し漕ぐだけでグーンと進みます。試乗させてもらった時、その想像以上の軽快さに驚き、車椅子の概念が変わりました。

メイクもファッションも社会的な地位も関係ない

どうしてこんなにも、年代も環境も違う人たちと楽しい時間を過ごせるのだろう——。それは、やっぱり入院という環境があまりにも特殊だからだと思うのです。

女性はメイクやファッションという鎧を脱ぐし、病院からレンタルするお揃いのパジャマは、その人の社会的地位を隠してくれます。つまり、先入観なく、誰とでも対等に接することができる場所だからだと思うんです。

また、患者に与えられるのは小さなベッドとわずかなスペース。逃げ出せないのもポイントでしょう。カーテンや寝具の「白」を眺めていると、なんの誘惑もないせいか、思考がクリアになるような感覚がしてきます。いやでも病気と向き合うことができるし、大切にしている家族や人生についても考えられます。

だからこそ、隣り合わせた患者さんと、出会って数時間で「人生で最も幸せを感じた瞬間は……」なんて、ウェットな話を唐突にできるのかもしれません。

けれど、どんなに仲良くなっても、関係は基本的に退院までと決めていました。退院間際は別れがツラくなり、「落ち着いたらランチしましょう」「メールしますね」なんてつい社交辞令を言ってしまうのですが、実現したことはほとんどありません。相手から連絡が来ることもほとんどありません。

互いに距離を縮めない理由は、「退院=完治」だけではないからです。移植手術前の私の病気は、末期になると完治するのが難しいものだったし、お隣さんの中には癌を患っている方もいました。とてもじゃないけれど、「お元気ですか?」とメールを送るほど、無邪気にはなれなかったのです。

だから、お隣さんとは一期一会の関係がいいと思っていました。一緒に過ごした思い出は消えませんから。

この病棟、なんか活気がある?

ところが、今回の移植手術のための入院はちょっと様子が違いました。なんというか……活気がある?

理由は、退院後に気づきました。移植治療を乗り越えるため、“情報交換”をするという、これまでにないコミュニケーションがあったからです。これから移植する人、すでに移植を終えた人、成人した息子から腎臓をもらうお母さん、親からもらう娘さん……みんなが“元気になるため”に前を向いていたのです。

たとえば、お隣のご家族に気兼ねなく「そちらも移植ですか? ドナーは? 手術はいつですか?」と聞いても大丈夫な雰囲気がそこにありました。元気になる前提なので、「病気のことを聞いたら悪いな……」みたいな遠慮もありません。

手術前の私は、手術後の“先輩”を捕まえては、いろんな質問をしていました。その人たちも、手術前の患者の心情がわかるので、嫌な顔一つせず真摯に答えてくれました。

なんの仮面も必要ない場所だからでしょうか。病気のこと、家族のこと、会話を繰り返すうちに、私とお隣さんたちの間には、自然と心からお互いの健康を応援するような関係ができていました。

震えた文字で書かれた手紙

手術前夜には涙が出るほど嬉しい出来事がありました。80代の「お隣さん」が無言で一枚のメモを手渡してくれたのです。そこには震える字で「明日がんばってね」と書いてありました。

▲お隣さんのお手紙。スマホケースに入れて持ち歩く私のお守り

▲お隣さんのお手紙。スマホケースに入れて持ち歩く私のお守り

彼女は手術を受けたばかりで声を出すことを禁じられていました。体が思うように回復していないこと、隣のベッドにいた私は空気で察していました。そんな状態で、筆を取り、私のベッドまで歩いて届けに来てくれたのです。

翌朝、今度は私が彼女のベッドに行き、「行ってきますね」と手を握りました。少しドキっとするほど力強く握り返された手に、確かに勇気をもらいました。

そして移植後は、私が質問ぜめにあう立場に変わります。術後1日目の私、2日目の私、3日目の私……。お隣さんたちは「痛い? 顔色はいいよ」「3日前と比べたら見違えたわ」なんて言いながらじっくり私を観察。まるで動物園に生まれた赤ちゃんパンダ状態です。

私が病院の人気者だったから……と言いたいところですが、みなさん明日は我が身なので、私のことを励まし応援することで、自分たちのことも鼓舞していたのだと思います。

「数値どうでした?」で通じる仲に

退院した今も、あの時のお隣さんたちとの関係性は続いています。外来で偶然出会えば、歩み寄って、挨拶がわりに「数値どうでした?」「お元気でしたか?」。だって、数値を聞けば元気かどうかなんて一発でわかるのですから。

そして、移植して7ヶ月の今、私はお隣さんたちのありがたみをひしひしと感じています。なぜなら、喝を入れてくれる存在だからです。

夫から腎臓をもらうという、あれだけの体験をしておきながら、実はちょっと前まで、感謝の気持ちが薄れていた自分がいました。たぶん、状況に慣れてきたからです。感謝の気持ちを忘れるとは、ドナーである夫への配慮に欠けた行動をとってしまうことです。たとえば、忙しさを理由に食事をおろそかにしたり、夜出かけたり、平気で飲んだり……。

そんな時、私に喝を入れ、意識を高めてくれるのが移植仲間のお隣さんたちです。「無理しちゃダメよ」という定番の励ましも、彼らに言われると、ハッとします。

というのも、移植後の私の体はこれから移植する人たちにとって、大切なデータになるからです。私の移植腎が長持ちすれば、生着率という医療データが上がり、移植治療を肯定することになります。反対に、短期間でダメにしてしまうと、生着率は下がり、全国の腎臓病患者さんを不安にさせる恐れがあるのです。

そういった特殊な状況を分け合える仲間、友達以上家族未満なこの関係をなんと呼んだらいいのでしょうか。私はまだしっくりくる言葉を見つけることができません。けれど、温かくて優しいこの関係をいつまでも大切にしたいと思っています。

How are youの代わりに"数値確認"

How are youの代わりに”数値確認”

(もろずみはるか)