シゴト・オトコ・キレイ-オンナ目線のキュレーションサイト

美って別に、正義じゃないし。【小島慶子のパイな人生】

恋のこと、仕事のこと、家族のこと、友達のこと……オンナの人生って結局、 割り切れないことばかり。3.14159265……と永遠に割り切れない円周率(π)みたいな人生を生き抜く術を、エッセイストの小島慶子さんに教えていただきます。

第20回のテーマは「美がなんだ」です。「ママに見えない」とか「25歳は女の子じゃない」とか、外野はあれこれ言うけれど、いちいち「私は美しい」なんて言い返すのにも違和感がある。じゃあ、どんな心持ちでいればいいの? 小島さんに聞きました。

とは思えぬ、ってなんだ?

先日ネットの記事で、ある女性のことを評した「四児の母とは思えぬ美貌」という文言を見て、ぐーるぐる思いを巡らせてしまいました。「とは思えぬ」って。なんで「四児の母である素敵な〇〇さん」ではいかんのでしょう。

そういえば30代の頃に、服を買う時に子どもの話をすると店員さんが判で押したように「ええー、お子さんがいるようには見えませんねー!!」と言うのがすごく嫌でした。他のお客さんにも同じ対応だったから、マニュアルがあるのかもしれない。だとしたらその「子持ちの客には“子持ちに見えない”と言って褒めよ」っていうのは、誰目線の褒め言葉なの?ママは子持ちに見られたくないって、誰が決めたんだ。

当時の私は子どもたちの事で頭がいっぱいで、育児に奮闘する日々をめちゃ誇りに思っていました。だから店員さんの「えー、見えない」には「経産婦、バカにしてる?」と思ったし、子どもを否定されたような気すらしたものです。「お子さんがいらっしゃるんですね。じゃあ、このスカートは動きやすいからオススメですよ」てな文言の方が、同じマニュアル対応でもよっぽど購買意欲が湧きました。

もちろん、店員さんに罪はない。マニュアルがあるなら、作った人もきっと無意識の思い込みで決めたんでしょう。若いママさんはママっぽくないって言われたらきっと嬉しいよねーって。でもこれね、結構根深いと思うんですわ。無意識のうちに刷り込まれた、女は若くて新しいほどいいという価値観。それに照らせば、経産婦はいわば「使用済みの中古品」ってことになる。だから「あなたは使用済みだけど、未使用みたいに見えますよ!」って言って喜ばせようというのが「えー、お子さんいるように見えませーーん」なのですよ。メルカリに出品するわけでもないのに。

一体、“未使用”の女を欲しがっているのは誰なんでしょう。女は鮮度が命という発想は女性のものでもあります。それはいつどのようにして刷り込まれたのか。なぜそう信じるに至ったのか。どうしてわざわざ自分に賞味期限シールを貼り付けるようなことをしてしまうのでしょう。誰にご賞味いただくために??

人生のほとんどは「慣れ」が解決する

数年前に化粧品会社が「25歳は女の子じゃない」という文言のCMで炎上したけど、これがもし成熟礼賛的な意味で使われていたら炎上しなかったはずです。CMでは“カワイイという武器はもはやこの手には、ない”って言葉が使われていました。若い女性向けの商品に「若くなくなったら価値が下がっちゃうよ」という脅し文句を練り込むなんて実に罪深いですね。呪いです。若さと幼さが女性の市場価値を決めるみたいな言い方は、ほんとに百害あって一利なしです。

ところで、子どもを産もうかなと考えている皆さまが恐れる外見の変化ですが、ええ変化しますとも。妊娠したらお腹の皮は伸びるし、四六時中全力で吸われたおっぱいは以前のようには戻りません。でも、慣れます。そういう自分の体に慣れるんです。パートナーも慣れます。大丈夫。人生のほとんどは慣れが解決するのです。これを読んで、ええーやっぱり経産婦やだなと思ったかもしれないけど、子どもを産んでも産まなくても、生きている限り、見た目は変化しますぞ。

このご時世に、若い女子にしか価値がないと思う人たちというのはだいぶ残念な方々なわけで、そんな人たちに好かれる体になりたい人を止めはしないけど、もういい加減疲れたでしょう。以前も書いたけど、「美しくなくちゃいけない」ってのも呪いなんじゃないかと思います。自分を肯定できるのは素晴らしい。でもどんな時も「私は美しい」って言わなくちゃいけないわけじゃない。単に「これが私」でいいと思う。

他人の日の基準に振り回されなくていい

オーストラリアでごくたまに、アジア人に意地悪な眼差しを向ける人に出会うことがあります。以前一度だけ入った服屋さんで(もう潰れたけど)、そういう目つきで私を見た年配の女性店員がいました。上から下まで眺めてわざわざ「アジアの人は……お肌がキレイねえ(それぐらいしか褒めるところないけど)」と慇懃無礼に言ってくる。その時に私は「いいえ私は美しい。アジアにはアジアの美しさがある」とは別に思いませんでした。彼女が見慣れた美の基準から言えばきっと私の外見は美しくないんでしょう。まあ美って慣れだからそう思っても仕方ないね。そのこと自体は問題じゃないけど、それをわざわざ態度に出して、相手に居心地の悪い思いをさせようとする悪意がクソだよねと。多分その怒りが天に通じて店は潰れたわけですが。

美に価値があると思うと、なんでも「私は美しい」って主張しなくちゃならなくなって、それも苦しい。美って別に、正義じゃないし。快適に過ごせればそれが一番で、いちいち美的基準に照らさなくても、人生は十分価値があります。

「四児の母とは思えぬ美貌」てな言い方をよしとする世の中は、まあ大抵の女性にとって快適じゃないことは確かでしょう。少なくとも自分はこういう言葉遣いをしないようにしようと決意を新たにしたのでした。